おなかにてあて

子どもに伝えるおなかのお話

寄り添うことを楽しむ

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最近オンラインで色んなことに取り組んでいると、「あれ、一体何がしたかったんだったんだろう?」と考えこんでしまうことがあります。色んな策を練って計画してみてもうまくいかないことのほうが断然多く、根本的に思考がIT向きではないのかとがっかりすることがあります。それでも言葉にできない感受性を表現することに醍醐味があると思うと、それはアートを創り出す作業のようで楽しくてたまらなくなることもあるのです。

オンラインで何がしたいのか?リアルでの対面に叶うものはないのは間違いないのですが、オンラインの上に私が感じている健康な身体や暮らしへの導きを伝えられる扉を創りたいのです。独立開業して治療院を始めた時にも、どんな形であれ寄り添う時間を積み重ねられるようにしたいと考えました。料金は田舎の人でも月に一回ぐらいは通える料金に設定したり、とにかく治療のための勉強を惜しまないように努めて、治療を求めて来てくれた人には全力で寄り添うことに決めました。それでも経営がうまくいかなくなった時のために、ただただ収入を得るためだけに広告を打たなくてもいいように、昔の宮大工の人の考えを真似て仕事がなくても食べていけるようにできるだけ自給自足の生活を目指しました。結果的に先月、何とかたくさんの人との出会いを積み重ねながら10周年を迎えることができました。

そんなことを考えていると、大工の棟梁をしていた父が昔こんなふうに言っていたことを思い出しました。正確には言葉にして伝えてくれてたわけではないけれど、きっと父はこう思って大工を続けているのだろうと私が勝手に受け取ったのです。

「その家に住む人がいるからこそ大工の役割がある」

それをなんとなく私も受け継いでいるのかな。そもそも健康を見失って助けを求める人がいなければ治療家の役割などないのですから。最近は「治療家なんて必要じゃなくなるほどみんなが健康で、自分を見失わない暮らしを見つけてほしい」と、口にするぐらいです。しかし現実はそうはいっていないようです。年々目に見えない不安に潰されそうな人が増えているように感じるのです。ですから、もし私に役割があるとすれば、オンラインの上にも扉を立てるのは必要ではないかと思い始めたのです。とある人が言っていました、情報空間は自律神経の一部だと。なんだむしろ我々の専門分野じゃないか。ただ情報を一方的に伝えるだけがオンラインではない。

こんなことを考えていると、考えれば考えるほど寄り添うところから離れていってしまうように思います。寄り添うことに意味があり、それに楽しんで向かい合っていられるか、それだけです。またとりとめのない話を書いてしまった。ダメだダメだ、凪やシロに教えてもらおう。寄り添う今、その場に夢中になればいい。

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